中学1年生で治療の世界に興味を持ち、その後、国家資格を取得。

私がこの世界に興味を持ったのは、中学1年生の時でした。股関節に腫瘍ができて、手術をすることになったのですが、これがきっかけで、人の身体や治療に関する本を読んだり、調べたりするようになりました。

高校3年生の時には、浪越徳治郎先生の「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」で有名な「日本指圧専門学校」のファミリー指圧教室で勉強し、家族や身近な人に指圧をするようになりました。

そして、その「日本指圧専門学校」の指圧学科(昼間部)を受験し、入学することになります。

在学中は、医学部と同等レベルの解剖学、生理学、運動学を。そして、臨床医学各論、総論や病理学、東洋医学などあらゆる分野を学びました。

実技については、日本で唯一の指圧の専門学校のため、とにかく基礎を繰り返し練習。「基本指圧ができれば、全てできる」と言われ、3年間ひたすら同じことを練習していました。 おかげで、ファーストタッチは柔らかな手の当たりだと思います。

そして、3年間通学した後、国家試験「あん摩マッサージ指圧師」を受験し、無事に合格することができました。

整形外科に入社し、臨床経験を重ねる日々。

専門学校卒業後、指圧の先生のところで、1年間勉強しました。

その後、整形外科に入社し、現在勤続14年以上になります。これまでに、延べ8万人以上施術してきました。ちなみに、15年ほど前に、オリコンランキングで関東8位になった整形外科です。

少し変わった整形外科で、牽引や電機などの機械を使わず、オールハンドで治療します。一般的に整形外科と言ったら、触診はせず、レントゲンを撮って、電気やって、痛み止めか湿布というところが多いです。

こちらで働くことによって、骨折、脱臼の後療法はもちろん、難病、片麻痺など、普通の治療家が経験できないような臨床例をたくさん診てきました。

また、毎日レントゲンを診ているので、画像上のおかしいところと触診上のおかしいところが一致しているか、常に検証、確認しています。

おかげで、問診や触診をしていて、「これは、カイロプラクティック適用ではないな」というのも分かってきているので、うちでは治療せずに病院に行ってもらったり、見通しをしっかりお伝えできます。

「私が、どんな病気でも治しますよ!」なんていう無責任なことは言わず、患者さんに最善な方法を提供したいと思います。

治療への興味が高まるばかりで、自己投資を重ねる日々。

治療に関するセミナー、講習、スクールには、常に積極的に通っています。

例えば、表皮からの人体解剖、ストレッチポールなどを用いたストレッチやトレーニング、心理学、頸椎のカイロプラクティックなど。今現在に至るまで、1,000万円近く投資してきました。

頸椎のカイロプラクティックにおいては、2つのスクールで勉強しました。

両親が難病になる。健康であってこその充実した人生だと痛感。

あるセミナーで、「人生の充実度グラフ」というものを作り、今までの人生において、いつが充実していたのか、いつが充実していなかったのかを振り返りました。

その時に分かったのですが、充実していなかった時と言うのは、自分や周りが健康でなかった時でした。 私が18歳の時に母がギランバレー症候群という難病に、23歳の時に父がもやもや病というこれもまた難病になってしまいました。

毎日が心配で、非常に辛かったのを思い出します。ただ、こういう環境になったのも、今思えば、私の治療家人生ならではのものだったと思います。

自らが大怪我をして、地獄のような3年間を過ごす。

28歳の時、運動のやり過ぎで身体のあちこちを壊してしまいました。その中でもダメージが大きかったのが、ボルダリング(壁面を登るスポーツ)での事故でした。高所から着地した時に、ぎっくり腰になったのです。翌日からは、首を倒しても腹圧を掛けても、脚に電撃痛が走るようになりました。

そこからの3年間は、地獄のような日々でした。この仕事をしていると、ゴッドハンドと呼ばれる先生も多数知っており、いくつも通ってみましたが、最初の半年は1ミリも良くなりませんでした。

月250km走っていたのに、1日300mしか歩けない。そんな現状にだんだんと腹が立ってきて、半年後、無理やりに走ってみました。最初は500mから始め、徐々に距離を伸ばしていき、数か月後には、1日10km走れるようになったのです。

これは、凄く大きな自信につながりました。やはり、自分の身体は自分で治すものなんだなと。そう強く実感したのです。

激痛の日々でしたが、薬を飲んだのは、自分の結婚式と引っ越しの2回だけでした。

毎日、どうすれば良くなるのかを観察し、記録していました。最終的には、ぎっしりと書き込まれたノートが3冊出来上がりました。今でも、大切に保管しています。

痛み止めは、スゴイです。ラクです。でも、痛くないので、良くなっていく過程が分かりません。また、身体の本質から改善したわけでもありません。この時、薬の凄さと怖さの両面を実感しました。

師匠と出会い、救われる。そして、人生に光が差す。

1日10km走れる程度までは回復していましたが、痛みはすっきりしないままで停滞していました。もはや、オペするしかないのか・・・。

そう考えていた時のことです。カイロプラクティックの師匠に出会ったのです。衝撃的でした。これだけ悩まされてきた痛みが、1回の施術で劇的に変わったのです。

この瞬間、私の前に道が開けました。すぐに師匠に弟子入りし、現在に至ります。

今、私には、カイロプラクティックの師匠が2人います。ひとりは頸椎1番専門の先生、もうひとりは頸椎5番専門の先生。どちらも日本トップクラスの1人治療院のオーナーで、1日に約50人も施術している「超」のつくゴッドハンドです。

いつも親身になっていただき、今でも大変お世話になっております。

このおふたりに教わったことが、今のわたしを作っています。実は、おふたりも、私と同じ「日本指圧専門学校」の卒業生なのです。不思議で、あたたかいご縁を感じます。

この仕事は、いくら勉強しても本当に終わりのない世界です。「趣味兼仕事」と心から思えるほど、この仕事が好きです。さらに勉強を深めて、最善の施術を提供できるよう邁進して参ります。

院長 住友宏行

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